田中輝明先生

ひとり言

田中先生の紹介を一番にしたかったのですがupdateしたらデーターが全て消えてしまい、ネットに先生の写真も出ずすいません、「馬鹿者」と怒られているのがわかります!国士舘大学工学部建築学科に入学し、一年生の必修科目に構造力学があります、担当教授が田中先生ですが単位を取れず落としてしまいました、来年も受けなければいけない、やばいとゆうことで先生の企画する京都・奈良古都建築見学会に参加しました、そこには3年生、4年生も参加されていました、昼間は木造寺院建築の構造的な美を堪能し、夜は先生との呑み会で私は酔っぱらい、先生に「単位を下さい」と言ってしまいました、先生「お前は誰だ」とそれから先生と亡くなるまでお付き合いをさせて頂きました。
先生は早稲田大学に夜学で通い、昼間は仕事をして大学を出たそうです、私も大学3年の時に色々あり家を出る決心をし、先生にお金を借りに行きましたが「お前に金は貸さない」と言われ次の日に「アルバイトの許可を出して下さい」と頼みに行きました(建築学科はアルバイト禁止:図面、模型等々あり勉強が疎かになる理由)さあ来たとばかりに先生は同期の卒論生を研究室に呼び、「梅田がアルバイトをさせてくれと言ってる、どうだ」と皆は何も言えません、先生「しょうがない、新聞配達を認めるか」それで卒業するまで新聞配達をしました、木造アパート「薫風荘」講師の隣の部屋を紹介してもらい3帖間5000円/月を手に入れました。

卒業してからも先生の会「輝友会」kiyuukaiで毎年先生、先輩、後輩共あえて貴重な機会となりました、就職先は早稲田大学の先輩である見上鎌三郎社長(横浜建設業協会の重責者)が経営する見上工業(株)に23年間在籍し、その間も先生とはスペイン、ハンガリー、オーストリアの旅行にもご一緒できました、独立する時にも元受け会社として工藤建設(株)を紹介して頂き、在籍する山中先輩、脇さんにお世話になりました、脇さんは大学の後輩なので呑むときに「脇よ」と話していたら先生が「今日から脇さんと呼べ、仕事をもらってる身だろう」と叱られ、依頼脇さんと山中先輩とは先生が無くなった今でもお付き合いをさせて頂いています、生前に先生が工藤建設(株)の顧問をしていた事もあり脇さんへ「もうそろそろどうだ」と電話があり、私も出席しての呑み会です、先生には学生時代に大分ご馳走になりましたが、私共が社会人になりご馳走出来る席が先生にとってどれほど誇らしい時間だったのかを感じながら杯を傾けました。
10月に先生の墓参りと称して先輩、後輩で集まり数名で杯を上げて先生を偲び、楽しい時間を共有しています。

先生の会で度々スピーチをする機会をもらいました、スウェーデンに赴任していた事から大使館の方々の前でも、司会の先輩から「梅田に話しをさせろと先生が言ってるから」とスピーチの機会をもらい沢山の経験をさせて頂きました、その後は2次会に先生、先輩後輩数名と、最後に同期とで楽しい一日となります、同じ建築の職種ですので話はつきません。

先生は建築構造の大家、松井源吾先生の弟子にあたり松井先生とは一度お会い出来る機会がありました、松井先生は菊竹清訓、黒川紀章といった大建築家と共に多くの建築を生み出しています、この様に人のつながりが今の自分を作っていると感じています、先生には人とのつながりの大切さを教えてもらった様に思えます、有難うございました田中先生!


2021年10月のお墓参り

遅れた同期と先生の前で一杯!フィリピンのお父さんに煎ってもらったピーナッツで!

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